我慢について
近所のドトール(タリーズだったかもしれない)でフラペチーノみたいなものを飲んでいるとき、ふと感じたことがある。
自分はこれを飲みたいと思っていないし、飲むことに対してストレスを感じているのでは?
もしかして、知らぬ間に嫌なことを我慢している、、?と感じた。
自分はどちらかと言うと内向的かつ抑圧的な人間である。なにかの目標のためなら努力を続けられる一方で、嫌なこともついつい我慢してしまうようだ。
不思議だったのは、自分がそれを飲むことにしたのは、他の誰でもない自分が選択した行動だということである。自分のあるあるパターンだが、タイプAのストレスをタイプBのストレスで上書きしようとしたのかもしれない。
嫌なことを我慢するというのは、ある意味習慣化したものなので自分にとっては簡単な選択肢だが、健全かと言われるとそうではない。特に社会人を長くやっていく上では、ストレスは極力溜め込まないようにするべきだ。するべき我慢とするべきでない我慢というのがきっとあって、
- 自分が何かを我慢していることに気がつけること
- その我慢は、するべき我慢であること
に注意を向ける必要があるのであろうな、と思った。